
なんとなく
心がもやもやする・・・
自信を失い
自分が自分を生きていないような
不安定さを感じることは
時に、私にも訪れます
そんな時
「今は運気がこうだから……」
と、理由を外に求めたくなることもありますが
それでも
私はそれを運気のせいにはしません
🌿
きっと今
私自身の心の動きを
静かに見つめる時なのだと思うことにします
例えばの話ですが
・・・
ある人に
少し心を寄せてみた
相手を思い
愛情を届けたいと思った
相手の尊厳も守りたかった
それは
自分の優しさであり
自分自身の誠実さだった
けれど
返ってきた反応は
思っていたよりも、あっさりとしていた
十分な情報が共有されているわけではないし
だからこそ
その空白を
自分の頭の中で埋め始める
・・・
「こういうことなのだろうか」
「私がしたことは
余計なことだったのだろうか」
「やらなければよかったのか」
「これは私の正義だったのか」
考えれば考えるほど
心は重くなっていく
そして、気がつく
自分を苦しめているのは
相手の反応そのものだけではないことを!
その出来事から
自分自身が作り出している
“物語”なのかもしれないと
自分で考えている通りなのかもしれない
でも
そうではないのかもしれない
本当のところは
自分には分からない
・
ヨガ哲学には、
スヴァディアーヤ『自己観察』
という教えがあります
起きた出来事をすぐに判断するのではなく
その時、自分の中に
どんな思考が生まれ
どんな感情が動き
どんな反応をしているのかを
静かに見つめていく教えです
「ああ、
今、私は傷ついているんだ」
「今、相手の反応の意味を
自分で決めようとしているんだ」
「今、答えのないことを
頭の中で考え続けているんだ」
そう気づくだけでも
少しずつ
思考と自分との間に
余白が生まれてきます
そして
もうひとつ大切にしたいのが
アパリグラハ『執着しないこと』
相手の反応を
自分が望む形にしようとしないことです
分からないことを
分かろうとしすぎない
相手の心まで
自分の責任にしない
私は、
私ができることをした
愛情を届けようと思った
相手を思った
相手の尊厳を守ろうとした
それが
その時の私の真実だったのなら
それでいい
相手がどう受け取ったのか
どんな気持ちだったのか
それは
相手の領域
そこまで私が背負わなくてもいい
そして
アヒムサ『非暴力』
という教えを
自分自身にも向けてみます
「やらなければよかった」
「私の正義は間違っていたのか」
「どうしてまた傷ついたのだろう」
そんなふうに
自分を責め続けることもまた
自分自身への暴力になってしまいます
この方とは
いつも同じようなことが起こる
だから
できるだけ関わらず
距離を保っている
それでも
どうしても関わらなければならない時がある
そして
その時に返ってくる
薄い反応に
心が冷えるような思いは
もう何度も経験している
想定内のことなのに
それでも心は揺れる
・
それは
「分かっているのに傷つく自分」が
弱いからではありません
人の心は
頭で理解しただけでは
すぐには動かないのだと思います
だから
傷ついた自分を責めるのではなく
「また揺れたね」
「大丈夫」
と、
自分のところへ戻ってくればよいこと
🌿
ヨガは、
何かを起こすためだけのものではなく
起きたことに巻き込まれた自分を
自分の中心へ戻していくこと
でもあるのだと思います
瞑想をする
呼吸を感じる
身体の緊張に気づく
そして、
頭の中で作っていた物語を
いったん手放す
相手の反応は
相手のもの
私の思考は
私のもの
事実と想像を
静かに分けてみる
「私は、
愛情を届けようとした」
「私は、
相手を思った」
「私は、
私なりに誠実だった」
そこまでは
私が知っていること
その先は
分からない
分からないものを
分からないままにしておく
それもまた
自分を守る智慧なのかもしれない
正しかったのか
間違っていたのか
それを決めることよりも
【私は、どんな自分でいたいのか?】
その問いに戻ってくる
私は
優しくありたい
でも
自分を犠牲にする優しさではなく
愛情を持ちたい
でも
相手の反応を求める愛情ではなく
人を尊重したい
でも
自分の心も同じように尊重したい
そして
必要な距離を保ちながら
静かに自分を生きたい
どんよりした世界から
抜け出そうと
無理に頑張らなくてもいい
まずは
呼吸をひとつ
そして
もうひとつ
思考の世界から離れて
「今、ここにいる私」へ
今日も
静かに自分へ還っていく
急がない
一歩ずつ
🌿
One step at a time.
